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広報誌「かけはし」

心の健康講座

9月1日、心の健康講座を開催。東京科学大学大学院 医歯学総合研究科 教授 兼 神戸大学大学院医学研究科 特命教授 古屋敷 智之氏が「ストレスとメンタルヘルス不調:脳科学研究の最前線」をテーマに講演されました。

ストレスとメンタルヘルス不調:脳科学研究の最前線

古屋敷 智之 氏

過剰な業務や困難な対人関係などの労働環境は、災害や貧困、疾病といった環境要因とともに、心身の機能に歪みを生じさせる。ストレスとは、この心身機能の歪みを指す。ストレスの作用は、その状況に応じて大きく異なる。例えば、短期間で終息し制御可能なストレスは、自律神経系や内分泌系を介して順応性や抵抗力を高めるという適応的な作用を発揮する。一方、長期間持続し制御が困難なストレスや、短期間でも生命を脅かすほど激しいストレスは、抑うつ、不安亢進、認知機能障害などのメンタルヘルス不調を引き起こし、うつ病、PTSD、認知症などの精神・神経疾患リスクを高め、さらには過労死や自殺に繋がることさえある。ただし、このような厳しいストレスに晒された人々が必ずしも不健康になるわけではなく、ストレスによる機能障害から回復する人もおり、回復力(レジリエンス)には大きな個人差がある。また、家族や友人などからの社会的サポートも、ストレスが心身に与える影響に大きく関与している。このように、ストレスの実態はその言葉の単純さとは裏腹に極めて複雑であり、そのメカニズムには未解明な点が多いため、ストレスを標的としたメンタルヘルス不調の予防や治療法はまだ確立されていない。

我々は長年にわたりマウスの社会的ストレスモデルを用いて、ストレスの生物学的基盤について研究してきた。その結果、急性ストレスが前頭前皮質のドパミン系を刺激し、神経細胞の突起を増生させ、レジリエンスを高めることを明らかにした。一方で、慢性ストレスは自然免疫受容体を介してミクログリアを活性化し、サイトカインやプロスタグランジンなど炎症性物質を放出させて脳内炎症を誘発し、それによりドパミン系が抑制され、神経細胞の突起が退縮し、抑うつや不安亢進を引き起こすことも判明した。さらにストレスは、骨髄から好中球や単球を循環血中に動員して脳機能障害を促進するとともに、本来は炎症を収束させる物質の産生を低下させ、炎症の遷延化を引き起こすことも発見した。これらマウスで得られた知見と合致するように、うつ病や認知症などの精神・神経疾患患者では脳や身体での炎症が高まっていることが観察されており、一部の抗炎症薬が抗うつ薬の治療効果を高める可能性が報告されている。

今後はこれらの発見を基に、ストレスの複雑な作用を生物学的に理解し、有益な作用を強化すると同時に、有害な作用を抑えることが重要である。また、個人のストレス感受性、ストレス負荷、心身機能の歪みを可視化し、個々の環境や心身状態に応じた適切な介入を行うことも求められる。何より、マウスモデルで得られた知見が人間のメンタルヘルス不調にも当てはまるかを検証する必要がある。このような戦略に基づき絶え間なく研究を進め、ストレスによるメンタルヘルス不調が克服された社会が実現することを強く願っている。