広報誌「かけはし」

■2017年2月 No.545
時評

少子高齢化の克服に政策の総動員を

― 働く世代が希望持てる社会に ―


 この正月、子や孫に囲まれ、新しい1年に思いをはせてみた人も多かったのではないか。昨年の世界を振り返ると、安定した社会を築いてきたG7加盟国でも、英国のEU離脱、米国の大統領選と大方の予想を覆す出来事が相次いだ。正月の新聞は「ポピュリズム」の台頭を懸念する意見であふれ、1年先のことがわからない「不確実な時代」になったというのが実感だ。
 これらのニュースで繰り返し聞かれたのが「社会的格差」という言葉だ。人種や宗教、富める者と低所得層、新興国と先進国、新産業と旧産業。いろんな対立軸が渾然(こんぜん)となり、政治の表舞台で、「社会の分断」という、きな臭い切り口で語られるようになった。
 先進国に共通するのは、社会の成熟とともに少子高齢化が進み、国の活力を支える働き手が不足する問題だ。欧米では、これを埋めるために国外から働き手を求めた結果、強烈な副作用を生んだというのが根本に横たわる要因だろう。
 わが国はというと、欧米とは異なる政策を採ってきたことで、元々の少子高齢化のひずみがより先鋭化している。この20年は高齢化にデフレが重なり、若年層の未来を取り巻く環境は中高年が同世代だったころに比べ、随分、厳しいものになっている。
 昨年末に閣議決定された平成29年度予算案には、高齢化をめぐる社会保障制度の改正が多く盛り込まれた。健保の分野でいえば、介護納付金への総報酬割導入で働く世代にさらなる負担増を迫る一方、高齢者にも高額療養費などで負担増を求めた。世代間のバランスを取った格好だが、社会保障関係費の伸びを5000億円に抑える目標に向けての数字合わせという印象は免れない。
 介護納付金の総報酬割には、健保連が断固反対を打ち出してきたところだが、納付金の徴収を役割としていたはずの被用者保険がなぜ負担調整の単位になるのか。実際の負担増の程度も、保険者が納付金を計算して料率で示さないと判明せず極めて理解しにくい。生活に直結する制度改正の大筋が訳のわからないまま決まる、ここ数年の手法が繰り返されたというのが大方の受け止め方だろう。
 世代間の格差を対立軸のように扱う考え方にも違和感がある。世代間の差は三世代が同居するかつての家族関係では同一会計内に包括されてしまうものだ。本来、対立軸ではないものが社会問題化するのは、労働人口の首都圏集中や核家族化など、社会のあり方が変わったという側面も大きい。
 高齢社会白書によると、65歳以上の高齢者1人を支える15〜64歳の人数は、平成7年に4.8人だったが、27年に2.3人となり、20年後には1.7人に減る。猛烈な少子高齢化の進行に対し、働く世代の負担増を繰り返すだけで対処できないのは素人目にも明白だ。
 本質は働く人口の減少なのだから、そこを根本から改善しないと解決はおぼつかない。子育て中の女性が働ける環境なしに就労を無理強いしても少子化を助長することになりかねない。地方の若者の就業機会の確保や、高齢者の労働市場の活性化など、社会保障の枠を超えて政策を総動員しないと、未曾有(みぞう)の難局は乗り切れないだろう。
 こう考えると、少子高齢化の問題は、いまに生きる世代がどういう社会を作ろうとしているのかということに尽きる。今年こそは、働く世代が希望を持てるような未来に向けての本格的な議論が盛り上がることを期待したい。
  (K・F)