広報誌「かけはし」

■2015年10月 No.529
時評

「万一の備え」と社会コスト負担 どう区分?

― 総報酬割の拡大に思う ―


 「健康保険とはいったい何なのか?」―。
 この素朴な問いが今ほど意味を持つ時代はない。
 というのは、高齢者医療費の捻出のために制度が変更される度、個々の加入者が持つ「健康保険」のイメージから離れたものになりつつあるためだ。
 今度は「介護保険」だという。6月末の「骨太の方針」に介護納付金への総報酬割導入が検討課題としてあがり、年明けにも厚労省の社会保障審議会で本格的な議論が始まる。
 報道によると、総報酬割で増える保険料の行き先は、協会けんぽから引き上げる年約1500億円の国庫補助の置き換え。後期高齢者支援金の全面総報酬割と同じ構図だ。公費の財源は税収なのだから、その“肩代わり”は被保険者が納める保険料に「税」の性格を持たせるということに他ならない。
 「保険」と聞いて、誰もが思い浮かべるのが「万一の備え」だろう。そして「備え」のコストとして保険料を支払うということだ。
 本来、生活の備えである「保険」の名のもとで、国民医療費の増大という社会コストへの負担も求める手法への違和感はぬぐえない。
 厄介なのは、その説明責任まで健保組合が果たさなくてはならない点だ。社会コストの増大は組合や被保険者の事情ではなく、政策決定の結果を伝えるだけだ。組合は自らの言葉で説明根拠を持たない。
 説明に困る制度は他にもある。典型が前期高齢者納付金だ。教科書的な説明は「加入者の偏在による保険者間の財政調整」である。だが、個々の納付金はその健保に加入する前期高齢者の医療費が計算基礎とされ、その変動幅が何倍にも増幅される。受け手である国民健康保険の必要額とどうつながるのか理解しがたい。
 現在の議論でキーワードのように出てくる「負担能力に応じた公平な負担」というのもどうか。
 同一健保内であれば保険料率は一律であり、収入でより多く負担する累進性はすでに一定程度、担保されている。総報酬割は制度や保険者間の平均値を比較し、二重の累進性を求めるものでもある。
 同じ健保組合でも、母体が中小・零細企業のケースがあり、業界で事情も大きく異なる。他制度に加入する中小企業や自営業者でも収入格差は大きい。一人ひとりの収入水準にまで掘り下げた制度でないと言葉通りにならない。
 健康保険制度は就業先でカテゴリー分けされているが、就業先と社会コストの負担は本来、関係がない。所得税と連携した議論も必要だし、事業主負担という意味では法人税との関係も視野に入る。
 2014年度の医療費総額が40兆円になったという。「団塊の世代」が後期高齢者に到達し、これが54兆円に膨らむという2025年度まであと10年と残された時間はあまりに少ない。
 ただ、数字の確保が目標となり、制度の緻密(ちみつ)さを欠いたのでは国民の理解は得られまい。まして、そこに政治や省庁間の力学が働いているとすれば、本当の意味での「持続可能性」は確保できないだろう。
 命と健康を支える健康保険制度の改革は、安全保障にも匹敵する国民的課題であり、単一の省庁や制度の枠を超える。本来の「万一の備え」と社会コストの負担を区別し、社会コストの部分をどう公平に分かち合うか。これを明快に説明できる制度の登場を切に願う。
  (K・F)