■2014年9月 No.516
なおざりにしてはならないこと
− 被用者保険の一元化論議に思う −
近年、医療保険制度の一元化を求める意見が目につく。平成25年の社会保障制度改革国民会議の場では、現役世代内での保険料による財政調整を是とする意見集約が行われた。
その後も国会審議の場で、さらに一歩踏み込んだ形で被用者保険の保険料統一についての意見提起も行われた。これら一連の論議は「社会保障は所得再配分である」という考えに基づくものだ。厚生労働省はこれに対し、被用者保険の独立性と有効性へ理解を示す見解を申し述べた。
内閣の諮問機関である社会保障制度改革推進会議も、そのメンバーが前身の国民会議と大差ない構成になっている。今後ともこの流れを変えるのにそう多くは期待できず、被用者保険一元化の論議は終息しそうにない。
被用者保険が一元化したとしても、国民皆保険が崩れるわけではない。被用者保険に無保険者が生じはしないからだ。ただ、われわれには、多様性のなかにこそ競争原理が働き、真に活力のある医療保険制度が育まれるとの強い思いがある。これは信念といえる。
民主主義社会では、個々の組織が一定の規制の枠組みのなかで、独自の裁量で活動することが、互いの切磋琢磨と進歩に結びつくものと理解している。近代日本の歴史を振り返ると、さまざまな経緯を経て異なった形態の医療保険制度が成立し、その総体として世界にまれな国民皆保険制度が確立している。
健保組合が、協会けんぽや国保に比べ、所得の高い被保険者の集まりだとする意見にも、単純に頷ける根拠が乏しい。そうである面もあれば、そうでない事例も多く散見されるからである。「総じてそうだから」とのいささか乱暴な思いこみで、国家の根幹にかかわる医療保険制度のありようを決めつけてもらいたくはない。
先日、トマ・ピケティの「21世紀の資本論」を読んだ。興味深く通読したが、所得階層別・資産階層別に社会の流れをとらえ、なかでも時間軸の単位が世紀単位であるというのがすごい。彼はこの著書のなかで「これからの社会問題は、世襲制の復活とその階層化にある」と結論づけている。これは達見ではあるまいか。
だが、そこに述べられている所得(資産)階層化の問題が、健保組合とその他の保険者間には当てはまらないだろう。
「子ども・若者白書」によれば、収入面については78.0%、老後の年金については77.6%、健康体力面については64.1%もの若者が、将来への不安を抱えているという。
ピケティは100年単位で歴史を検証しようとしているが、いまわれわれがとり組むべきは、これからの100年間の未来への制度設計である。ここが難問たるゆえんだが、いずれにせよ制度設計の青写真が必要不可欠だ。青写真の作り手が政府である以上、われわれはそれに対し、いかに精密で的確な情報提供を行い得るかが肝だ。
さらにもっと重要なことは、複雑に入り組んだ社会保障制度を理解するためのメッセージを、最終的な制度の判定者であり、最大の利害関係者でもある国民一人ひとりに発信し続けることだ。
そのためには、健保連総会で大塚陸毅会長がいみじくも語った「わかりやすさ」が、最も重要なキーワードとなる。近年の医療保険制度維持のための〈国の拠出金・支援金への過度な依存〉など、明らかに「わかりやすさ」の欠如した制度の負の部分である。国民の実生活に寄り添い、肌身に感じるメッセージを発信し続けること。ゆるぎない信念と忍耐が求められる。
(K・M)