■2012年6月 No.489
赤信号を渡る大人でいいのか?
− 雨の季節の小さな告発 −
雨の季節が来た。車が水しぶきを上げる交差点で傘の柄を握りしめて信号の青を待つ小学生に出会う朝がある。表情に戸惑いの色が浮かぶ瞬間があって、そんな時、決まって視線の先には赤信号を渡る大人の姿がある。
長期にわたる政治の混迷が続いている。子供たちに重過ぎる荷を背負わせないための第一歩であり、この国の将来を映す鏡ともいえる社会保障と税の一体改革もその中に巻き込まれ、具体的な像を結べないでいる。
この春、花吹雪の校門をくぐった子供たちがまだ入学、進級の緊張と喜びを全身ににじませていたころに発表された2つの数字がある。いずれもこの国の社会基盤の存立への警告となる数字だ。
ひとつは総務省による日本の人口推計(昨年10月1日現在)。総人口に占める各年齢層の割合は年少人口(0―14歳)が13.1%、老年人口(65歳以上)が23.3%。前者は過去最低、後者は過去最高だとニュースは伝えていた。
対策を急務だとする政治の声が改めてあがっている。だからこその改革、だからこその消費税、だからこその経済浮揚。しかし、なぜかそれが具体的な形とならない。少子高齢化の加速はずいぶん前からわかっていたはずだ。子供たちなら首をかしげつつ、あきれて言うだろう。大人って想像力がないのかな。
子供は大人を模倣して成長する。だからこそ、視点は率直で、素直で、鋭い。信号を守るんやで、赤で渡ったらあかんで。お母さんも、お父さんも、先生もこう言った。けど、大人は平気で赤を渡っていく。なんでや、わからん、ずっこいな・・・。
政治は国民のためにある。国のために、子供たちのためにと言いながら、万が一にも自己保身と党利党略を優先する政治であるなら、大人には大人の事情があるのだともっともらしい理由を免罪符にして子供の目の前で赤信号を渡る振る舞いにも似ていよう。
もうひとつ、健保連による本年度の健保組合予算早期集計(1435組合の推計)。保険料率の引き上げ組合584(40.7%)。保険料収入の前年比増3731億円(5.8%)があってなお赤字を解消できない組合1276(88.9%)。
数字の向こうに見えるのは高齢者医療への過重負担に苦しみ、料率を上げても上げても追い詰められていく健保組合、そして、健康という社会基盤を維持するために高額の保険料を納付する被保険者と事業主の姿だ。
強い赤信号を発する健保組合の姿が政治には見えないのだろうか。大人は想像力の欠如を認めなければならないのだろうか。やっとのことで料率を引き上げたのはほんのこの前のこと。それが、もう、来年度の心配をしなければならない。
木々の緑が雨に洗われて深みを増していく。やがて夏が来る。赤信号を渡る大人の姿に戸惑い、なんだか怒ったような表情で黄色やピンクの傘の柄を握りしめる子供たちに出会ってつくづく考える雨の季節である。
(S・I)