■2011年10月 No.481
母と子のための政治とはなにか
− 2つの巨大リスクのなかで −
くっきりと青く澄んだ空、白く群れをなす鰯雲。赤や黄のコスモスを揺らせて吹く風。あたりまえのように巡る季節のなかで考える。かけがえのない暮らしの平穏。それを守ることにこそ健康保険組合の存立の意義があるのではないか。
大阪・北区のビル12階にある組合事務局でパソコンの画面から視線を机上の書類に戻した一瞬、平衡感覚を失ったような気がした。3月11日。のちに東日本大震災と呼ばれることになる東北地方太平洋沖地震の発生を知った瞬間だった。
マグニチュード9.0の海溝プレート型地震によって引き起こされた巨大津波は東北を中心とした東日本各地を襲い、膨大な数の生命を奪った。なお多くの人々の行方が知れず、原発事故でふるさとを追われた人々の帰宅の見通しもない。
どんな災害であれ、被災地にはさまざまな思いがある。哀悼と無念、悲しみと怒り。喪失と虚無。そこに必ず、共通のメッセージがあることに気づく。普段、意識することの少ない暮らしの平穏がどれほど大切なことか。東日本大震災の被災地の声には今もなおそのメッセージが混じる。
朝に起きて、笑って、泣いて、怒って暮らし、時に愚痴をこぼし、夜には眠り、やがて迎える新しい朝。そして、家族の存在がある。「夜中に目が覚めて横を見ると、かみさんと子どもが寝ている。あーいいなあって思う」とは新聞で接した被災地の言葉だ。
健保組合の現場業務に派手さはない。医療保険も社会保障も政治の世界では数百億、数千億、あるいは兆の単位で論じられる。だが、現場は暮らしの平穏につながる健康への思いと貴重な保険料を基盤に、比べようもない小さな単位で業務に取り組んでいるのだ。
この春に受理した書類に添えられた1枚のメモが手元にある。娘さんを被扶養者からはずす異動届。「長女が就職しました。出生以来、本当にありがとうございました」。短くはあるが、健保組合の役割を改めて教えてくれる重い言葉だ。
不思議な符合とでも言おうか。あの日、ゆらゆらと揺れた事務局の机上には「かけはしbS73」があり、小欄は阪神淡路大震災の体験を中心に据え、少子高齢化というリスクを抱えるこの国には強靭なシステム構築が必要だと訴えていた。
季節が移るなかで健康保険に関わるいくつかの動きがあった。新たな高齢者医療制度案、社会保障と税の一体改革の成案。なにより、国政のリーダーが交代した。「赤ん坊を背負ったお母さんのために」とは若き日に語った政治理念だと聞く。
「母と子」とは暮らしの平穏の象徴に違いない。新しいリーダーが目指す政治とは厳しい財政下でそれを守ろうとしている健保組合の現状を直視する政治ではないのか。大震災と少子高齢化。2つの巨大リスクのなかで迎えた秋、復興の祈りと共に消えることのない問いかけである。
(S・I)