■2011年2月 No.473
強靭な国のシステム構築のために
− 早春の香りと震災の記憶から −
大気に沈丁花の香りが混じるころになった。16年前のこの季節、阪神・淡路大震災の被災地の記憶に深く刻み込まれた芳香。それは激しい揺れとその後を体験した健康保険組合にとっても忘れがたい香りではないか。
死者6434人、重軽傷者4万3792人。住家被害63万9686棟。ピーク時のライフライン被害は断水130万戸、ガス供給停止86万戸、停電260万戸。
医療機関の救命活動、道路・鉄道・通信網を含むライフラインの復旧、メーカーの生産ライン確保…。最大震度7からひと月余の早春は、なお懸命の企業活動が続いていた季節でもある。
健保組合は動いた。窓ガラスが割れ、書類が散乱する事務所。なんとか使えるようになった電話回線で被保険者でもある従業員と家族の安否確認を急ぎ、被災従業員への常備薬セット配布、看護師派遣などが続いた。
「自宅全壊。保険証が見つからない…」。被災のショックと戸惑いを含んだ問い合わせに「当面、保険証なしでも診療が受けられます」と答え、さまざまな被災者支援に対応した日々を甘い香りで思い起こす職員も少なくないことだろう。
当時の新聞報道で健保組合に焦点をあてた記事はほとんどない。身分証明としての「健康保険証」が頻繁に登場するだけだ。だが、その事実こそが国民皆保険制度の中軸をなす健保組合への信頼を表しているのではないか。
ともすれば、大きな動きのなかで目立たない地道な業務が被保険者と家族の健康リスクを軽減し、企業の人的資力と経営基盤を維持し、ひいては、わが国の基礎を支えている事実をあらためて確認しておきたい。
社会保障が自助、共助、公助で成立することは論を待たない。問題はそのバランスだ。平成21年度の決算見込みで8割、22年度の予算で9割の健保組合が赤字になるという数字がその不均衡を示している。
われわれが公助、すなわち公費の拡充を主張しているのは自らの存立のみを目的にしているからではない。個々の健保組合の財政がこれ以上悪化すれば、共助はもとより自助さえ危うくなって国家の基盤が損なわれると危惧しているのだ。
あの地震は平成7年1月17日の早朝、巨大なエネルギーで一瞬のうちに町を破壊し、生命を奪い、国のシステムの脆弱さを見せつけた。そして、いま、少子高齢化が負のエネルギーをためつつ重い問いを投げかけている。
普段は静かで自己主張をしない沈丁花がこの季節には白く小さな花の香りを放ち、穏やかにその居場所を告げ、雄弁に震災の記憶を呼び起こす。
負のエネルギーの破壊力を知るわれわれもまた、着実な業務を続けつつ現場からの言葉を発する時を知らねばなるまい。すなわち、強靭な国のシステムに不可欠な社会保障のグランドデザインは国民を守るという姿勢と視点で描かれなければならないという言葉である。
(S・I)