広報誌「かけはし」
2001年3月25日 No.354
投稿 言わしてんか!聞いてんか!
   
●拠出金と介護保険料の重圧
   介護保険制度が、スタートしてから早1年が過ぎようとしている。
 当組合も、一般保険料と介護保険料をたして95/1000どころか100/1000は軽く超えているのが、現状である。中小企業の集まりである総合健康保険組合は、平均標準報酬は低く40歳から64歳までの平均標準報酬も低いのは当然である。現在の介護保険料の徴収方法では、平均標準報酬は低く被扶養者の2号被保険者が多い組合ほど高い料率で徴収しなければならない訳で、公平な負担とはいいがたい。当健康保険組合では、平成13年度は、約2億2、200万円弱の負担をしなければならない訳で、平成12年度に猶予された分を含めると3億743万円にもなり、一般健康保険料と介護保険料率を合わせると107/1000という恐るべき率になってしまうわけである。介護保険料はあくまでも健康保険組合が徴収義務を負わされているものであり公平な負担を求めるのではあれば、平均標準報酬月額や2号被保険者の扶養率によって何段階かに増減してこそ公平な負担ではないだろうか。また老人保健制度にしても然りである。
  我々の健康保険組合は、あくまでも被保険者と被扶養者の健康保険組合であり、被保険者と被扶養者の健康と生活を守るために設立された健康保険組合であることを政府並びに厚生労働省は忘れているのではないだろうか。
 
 拠出金を払うために健康保険料率は引き上げ、また一般の診療費を止めてまで拠出金を払うのが健保組合か、まったく理解に苦しむ。そしてあげくの果てに財政の立て直しの出来ない組合は、解散せよということでは、健康保険組合が、今まで行って来た運営努力がすべて無駄になってしまう。平成14年度までは、とても待てる状況ではない。もっと真剣に現実を受け止めてもらいたい。
                   (第4地区 DK・H)
●中途半端にうんざり
   医療や医療保険制度の抜本改革がうたわれてからかなり時間が経過しており、その間実施されたり一部改正されたり、また改正されようとしていることがあるが、どうも中途半端なことばかりでうんざりしている。
 まず、介護保険制度がスタートしたが、早くも運営の実態に即して必要な見直しを行うといわれている。円滑な実施を目指すには最初から内容が伴っていなかったことが多く、もっと体制を整えてから実施すべきではなかったかと思う。
 つぎに、健康保険法等の改正が老人医療の定率1割負担を目指し1月からようやくスタートしたが、医師会が難色を示したことにより定額制との選択制を残した結果、約80%の診療所は定額制を採用し、高齢者のコスト意識向上にはまだまだ時間がかかりそうである。
 また、被保険者証の個人カード化が実施されようとしているがICカード化で個人の受診データ等が入力されるのならまだ賛成できるが、単なる個人カード化だけなら健保組合としてはデメリットの方が多いと考える。例えば@個人カードの発行費用がかさむA個人化することにより紛失等が多くなり再発行が多くなるB紛失等によりどんな悪用がひそんでいるかも知れないC個人カードを回収する時が大変であるD受診機会が必要以上に多くなる可能性があるのではないか等である。
  さらに指定組合制度が創設されることになったが、本当に再建指導のための制度であればよいが。緊急助成案でもなければ、単にダウン寸前の組合に再建計画書を
 
出させても、計画の実行は不可能ではないか。指定組合=解散組合の指定席になってしまう可能性がある。
 以上いずれも中途半端なことばかりで本気で取り組もうとしているのか疑いたくなることばかりである。今後を考えた時、政府が目指している「医療保険制度等の抜本改革」について、日本医師会は14年度の実現は困難であるとの見解が報道された。
 しかし改革が収入減少につながることを懸念する医師会の反発は今後もつづくことが予想される。
 一方我々健保連を中心とする健保組合としては今までのようなあまり効果のない中途半端な訴えは止めて全国の数多い被保険者等をバックに、もっと実力行使の怒りをぶつける気構えでやらないと駄目ではないかと思う。
 健保組合は積立金の取りくずしや解散の危機にさらされており、いまさら抜本改革といっている状況でもないと考える。
 漫才師のセリフではないがもうこれ以上中途半端なことはおことわりしたいものである。                                         (第5地区 K生)
 
●後を絶たない医療ミス
   医師や看護婦の医療ミスが後を絶たない。患者を取り違えて手術したり、人工呼吸器にエタノールを注入したり、O型患者にB型血液を輸血したり、パソコンで投薬指示書を間違って作ったり、何とも恐ろしいことが続発している。
 また、こうした重大な医療ミスが大学病院や知名度、信頼度の高い病院で相次いでいる。深刻な問題である。
 命を救ってもらうはずの病院で、ミスによって命を奪われる。家族の無念と怒りは察するに余りある。
 医療ミスの実態は掴めないようだが、係争中のものだけで3、000件を越すと言われる。
 何が原因なのだろうか。報道される事故の内容からは、単純な不注意、勘違いとしか思われない。
 かつて、安全を担当したことがある。職場の災害をなくすには、まずケガにならない事故をなくさねばならない、ということからヒヤリ・ハット運動に取り組んだ。
 1対29対300、重大災害1件の背景には、それまで29回同種の軽い災害があり、かつ300ものケガにならない事故を経験しているという、ハインリッヒの説である。この300がヒヤリ・ハット事故である。
 
 災害をゼロにするには、ヒヤリ・ハット事故の原因となった不安全状態と不安全行動を一つずつつぶす必要がある。それには、より多くのケースを集めることであった。
 しかし、当初は、ヒヤリ・ハットがあっても、直接災害に結びつくケースは少ないため、それが見逃されたり、報告されないことも少なくなかった。運動の広がりとともに職場からの報告も多くなり、その原因に適切な手を打つことができるようになった。"安全の先取り"のための情報としての活用である。 
 医療ミスも同じことがいえるのではなかろうか。重大な医療ミスの背後には、その何倍ものニアミスがあると言われる。ある調査では看護職員の94%がニアミスを体験したと答えている。医療現場でのヒヤリ・ハットを洗い出し、これを分析し、その原因をつぶしていく、といった取り組みが必要ではなかろうか。
 相次ぐ医療ミスに医療への不信感が高まりを見せている。医療従事者一丸となってゼロ災(ミス)を目指してほしい。                        (第6地区 J・T)