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■2001年3月25日 No.354 |
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●● がん克服 生きる力をおすそわけ ●● |
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「がん克服 生きる力をおすそわけ」と題した健康づくり教室が2月15日、薬業年金会館で開かれ、落語家の笑福亭小松さん自らの闘病生活と話題となった日本列島徒歩縦断の体験を語りました。講演後には本職の落語で会場を沸かせました。 |
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●胃と脾臓の全摘出に9時間の大手術 |
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人はなんとなく生まれ、自然に死んでいくものだと思っていましたが、4年前に大きな手術をし、もうダメだと思っていたのが助かり、人生には大きな意味があるんだと感じました。
96年の12月に末期に近い胃がんと診断され、すぐに入院となったわけですが、医者から胃潰瘍であると説明されていましたし、私自身もまさかがんだとは思ってもいませんでした。
入院してまず、1ヵ月の絶食を告げられました。1日は我慢できますが、それが4日目ともなるとイライラしてどうしようもなくなるんです。必要な栄養分は点滴で補っていましたが、口で噛んで味わって飲み込むという食事がどれだけ大切なことか痛感しました。
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闘病生活などを語る
笑福亭小松さん |
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手術当日は妻と小学生の2人の子どもが来ました。そして下の女の子が私の顔を見て、しみじみ「死なんといてな」と言うんですね。私は胃潰瘍だと信じていましたから「頑張ってくるで」とポーズをとりながら手術室へと向かっていきました。
胃と脾臓の全部と膵臓2分の1を摘出し、食道と腸を直結するというもので手術は9時間にもおよびましたが、おかげさまで成功。集中治療室で目覚めました。しばらくはものすごい激痛で、その時は「なんで俺だけが」とせつない時間を過ごしました。手術後1週間位経った頃に兄が病院に訪ねてきて、「やはり知っておいた方がいいだろう」と告知をされたんですが、聞いた瞬間、目の前が真っ白になり、なにも聞こえない。ただ両目から涙があふれだして止まりませんでした。がんという暴風雨に巻き込まれた舵取り不能な難破船のように、どう生きてどう死んだらいいのか分からない状態でした。本名は夏川雁二郎で、小さい時から「がん」と呼ばれていましたが、「がん」という病気は自分には関係のないものと思っていたんです。 |
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●日々の目標に向かい日本列島を徒歩縦断 |
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がんという病気を機に、今まで芸人社会で好き勝手に生きてきたが、これからの余命は分からないが、父親としての時間も大切にし、目標を持っていさぎよく散ろうと決心しました。すなわち生き方が死に方なんだと。
このようなことから日本列島を徒歩で縦断することにし10oの荷物を背負って1日30qを進むことを目標に鹿児島をスタート、北海道庁を目指しました。
告知後私の人生は日めくりになり、「その日にできることを一生懸命やろう」という気持ちに。旅先では見知らぬ人から「余命いくばくもないなら、家に帰って家族と一緒に過ごしなさい」などと心配され、叱られたこともありましたが、私自身、縦断の旅は足は痛くて辛いんですが、それよりも心が弾んで清々しく気持ちよかったんですね。
九州をやっと縦断し本州は山口県に入ると、あるお寺の住職が待っていて、「本堂で落語をしてくれないか」という申し出がありました。その地区はお年寄りが多く、たいへん喜んでくれました。翌朝その寺で出された朝食はあたたかく、旅で疲れた私の心と身体を癒してくれました。私は俳句が好きで旅の折々に詠んでいましたが、その時の一句が「一膳のめしのうまさようれしさよ」。
倉敷ではがん治療で有名な医師と出会い、患者さんの前で落語を披露したこともありました。その医師によると人間の身体には毎日3、000個のがん細胞が発生しているが、それをNK細胞がやっつけている。そしてそのNK細胞は笑うことによって増加する。すなわち「笑いは健康の秘訣」だということです。その後、旅の途中で落語会や講演会を行い、さまざまな人たちとのふれあいがありました。そして出発から130日後、無事道庁にゴール。そこにはマスコミはじめ多くの人たちが待ち受けてくれていました。
「がんイコール人生のリタイア」と思う人が多いですが、それは間違いです。「がんがあったから列島の旅があり、皆さんとの出会いがあった。がんは悪いものだけではなかった」。私はいま、心からそう感じて毎日を生きています。 |
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日本列島縦断中、ちょっと一服 |
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