広報誌「かけはし」
2000年10月25日 No.349
断煙の手引き
健保連大阪中央病院院長 正岡 昭
 
 タバコの害については、いいつくされているといっても過言ではありません。一時、喫煙はアルツハイマー病やパーキンソン病を予防するというようなことがいわれて、喫煙者の方に大いに歓迎されたことがありました。その根拠は、アルツハイマー病の患者集団と非アルツハイマー病の同年代集団のそれぞれにおける喫煙者数を比較すると、アルツハイマー病集団の方が少なかったという成績にあります。
ところが、同一年代層の中年の喫煙者の集団と非喫煙者集団の二者について、その後のアルツハイマー病の発生率を調べてみると、喫煙者集団にアルツハイマー病の発生が多い(2.3倍)ことがわかりました。またアルツハイマー病の発生年齢も若い(4.1歳)こともわかりました。
 つまり、前者の後ろ向き試験では、喫煙者のアルツハイマー病患者は早く発生し、早く死亡するものが多いということを示していると思います。疫学的な価値は後者の前向き試験が断然高いということはいうまでもありません。
 このようなことから、喫煙の健康に与える影響はすべてマイナスと考えて差し支えなかろうと思います。
 さて、喫煙の健康障害が単に自分だけでなく周囲の他人にまで及ぶこと、社会的に喫煙への制約が強まってきていること、などの理由から、タバコをやめたいと希望される方が著しく増えてきています。
 それでも断煙をためらう人が多いのは、断煙に伴う苦痛のためです。それはニコチン依存症のためなのですが、近頃は種々の断煙補助薬も登場し、断煙に伴う苦痛ははるかに少なくなってきました。
 この手引きには、断煙のすすめ方を8つのポイントにまとめました。参考にして頂ければ幸甚です。
 
1・節煙はダメ
   せめてタバコの本数を減らしたいという人がいます。40本吸っていたのを20本にするというのです。本人にしたら大変な努力を要すると思いますが、健康障害の面からみますと、これは全くノーなのです。
 ニコチン依存症の方は、血液中のニコチン濃度を一定に保つよう、無意識のうちにさまざまな調整を行っています。ですから本数が減ると、その分深く吸いこむ回数をふやしているのです。その結果として血中のニコチン濃度は同じということになります。ニコチン以外の有害物質も同様に深く吸い込まれているのです。
 同じことが低ニコチン・タバコにもいえると思います。タバコ・メーカーはニコチン1mgといった低ニコチン・タバコを生産し、宣伝につとめています。しかしこれも本数を減らすのと同じように、深く吸いこむ回数をふやし、時には喫煙本数までふやしてしまうのです。そしてその結果は、ニコチンの摂取量は同じ、ニコチン以外の有害物質の摂取量はかえって増すということになります。
 節煙はダメ、断煙するしかない、ということです。
   
2・「なぜやめるのか」をはっきりさせる
   タバコをやめたい理由は、人さまざまです。最も多いのは健康障害に対する不安です。肺癌、喉頭癌、膀胱癌などの癌、肺気腫や慢性気管支炎などの肺疾患、動脈硬化による心筋梗塞や脳梗塞などの血行障害など、タバコの関係する疾患群は広汎です。これらに対する恐れが、断煙に対する最も強い動機になります。
 健康障害は自分のみならず、家族や周囲の人達にも降りかかってきます。ですから結婚したとき、子供が生まれたとき、などが重要な動機づけになります。
 一方、社会的な理由もますますふえてきました。飛行機はほとんど全面禁煙になってきました。列車やレストランでも喫煙席はどんどん縮小してきています。会社の事務室や会議室でも禁煙というところがふえてきました。そして分煙が進んだ結果、喫煙室は仕事場から離れた場所に設置されるようになりました。
 長時間禁煙せざるをえないところがふえ、気兼ねしながら吸わざるをえない状況が発生してきました。喫煙室へ度々向かう部下の背中に課長の冷たい視線が突き刺さります。家庭でも室内の喫煙ができない家がふえてきました。喫煙者の安住の地はますます狭くなってきたといえましょう。
 経済的な理由もあります。1日に20本吸うと、年間では10万円近くになります。これからも税収をふやすため、あるいはタバコ会社の負担すべき巨額の賠償金のため、などの理由でタバコの価格はさらに高くなるでしょう。
 このように断煙する動機にはさまざまのものがあります。要するに自分は「なぜやめるのか」という理由をはっきりさせることが肝要です。なぜならば、確固たる理由があれば、ともすれば挫けそうな気持ちに鞭打つことができるからです。
   
3・やめる用意
   タバコをやめるといって、すぐに今日から、あるいは明日からやめるというのは、不成功に終わる可能性が高いといえます。何事も周到な準備が必要です。
 まず前項にあげた、やめる理由を心に刻むことから始まります。そしていつからやめるかを決めねばなりません。覚悟が固ければ、もちろん明日からでもよいのですが、例えば自分の誕生日、昇進の日など記念すべき日を選ぶのも得策です。また営業の方などでは、仕事が暇になって宴会などがない時期を選ばれるのも一法でしょう。
 喫煙用の小道具、例えば灰皿やライター、タバコ・ケースなどを捨てることも必要です。愛着のある品も多いかとは思いますが、挫折したときに、また使わねばならないとか、いらざる配慮は気持ちを弱めます。すべて捨てて自分の退路を断ってしまわねばなりません。また、決意を他の人(家族や同僚など)に表明するのも、決意の持続に役立つでしょう。
 後述するように、断煙時の苦痛を緩和する薬剤が登場し、断煙は大変容易になってきたと思われます。断煙開始に先だって、医師を受診し、これらを用意して万全の体勢でのぞむことが成功の要諦といえましょう。
   
4・朝の一服を克服
   禁煙者に、「どんな時に吸うタバコが一番おいしいですか」と質問しますとさまざまな答えが返ってきます。食後だとか、一仕事終わってやれやれと感じたときとか、です。これらの答えの中で、とくに気をつけなければならないのが、朝起きたての一服です。
 いかなるヘビー・スモーカーといえども、睡眠中はタバコを吸うことはできません。ですから朝起きたときは、7〜8時間の断煙状態にあるわけです。従ってニコチン依存性の強い方は、この時すでにニコチン禁断症状があらわれています。そこでふとんの中から手を伸ばしてタバコに火をつけるということになるわけです。
 このように朝寝おきの一服は、折角続いた7〜8時間の断煙を中断させてしまう一服となります。この一服をやめれば断煙状態は次に続いて行くことになりますので、朝の一服は何としても克服せねばなりません。
 朝の一服の克服には、忙しく色々のことをすることが役立ちます。すぐに歯を磨く、顔を洗う、ひげを剃る。体操をする。ラジオ体操でもご自分で考案された体操でも結構です。体力に自信のある方はジョギングもいいかと思います。女の方ならばお化粧、調理もいいと思います。要はタバコに気が回らないよう自分に仕事を命じることです。朝食は必ずとること。
 起きぬけに、タバコに伸ばしていた手をニコチン・シールに伸ばして貼るというのもいい方法と思います。ニコチンによる禁断症状の軽減に役立つからです。
   
5・吸いたくなったとき、どうするか
   喫煙者には習慣的にタバコを吸いたくなる状態がきまっています。例えば食後とか、ほっとしたときとか、商談の最中とか、です。一人で置かれているときは、さまざまな行動をおこして喫煙欲求を抑えます。例えば、水を飲む、歯を磨く、体操をするなど、朝の行動と同様の行動をとります。商談などの相手のあるときは、お茶を飲む、話の内容に没頭するなどの対応を取らざるをえないでしょう。
 このような具体的な喫煙欲求の解消のほかに、禁断症状を遠ざけるための自律訓練法があります。これは麻薬や覚醒剤など習慣性薬物依存症の治療にも用いられている方法です。一言でいえば、心をある一点に集中させて、喫煙欲求から遠ざかることにあります。座禅で、気持ちを考案(座主の与えた問いに対する解答を考えること)に集中することによって、一切の煩悩から解脱するのとよく似ています。
 具体的には、まず心身を安静状態におきます。ベッドに仰臥してもよろしいし、ゆったりした背もたれ椅子に腰をかけてもよろしいかと思います。
 その状態に身体を置いて、いくつかの課題を順次自分に与えていきます。まず気持ちが安静状態にあるか否かの問いかけです。頭はこの問いかけに対して、自分の心と身体が安静状態にあるか否かを判断し、安静状態にあると判断すれば、「安静状態にある」と口中で唱えるか、あるいは発語によって確認します。この呼称は3回くらい反復するのがよいと思います。
 続いて重さの感覚に移ります。まず右手を持ち上げて、その重さを確認します。確認したら、同様に「右手が重い」と3回呼称します。ついで左手、右足、左足、それぞれについて同様の操作を行い、同様の回答を反復します。
 以下、脈搏、呼吸、頭部、腹部について精神を集中させ、それぞれの状況について確認を反復します。
 以上の方法を全て行いますと、凡そ10分間を要します。これを1日3回くらい行います。
 上記が原法ですが、1日に1回でも、あるいはタバコを吸いたくなったときだけでも、やってみられるとよいと思います。
 
自律訓練法
1 安静感の習得
  "気持ちが落ち着いている"
2 重感の習得
  "右手が重い" 、"左手が重い"
"右足が重い" 、"左足が重い"
3 温感
  "手足が温かい"
4 心臓調整
  "心臓が規則正しく打っている"
5 呼吸調整
  "楽に息をしている"
6 腹部調整
  "胃のあたりが温かい"
7 頭部調整
  "額が涼しい"
   
6・吸いたくなくする工夫
   タバコを吸いたくなったときの対処の仕方よりも、タバコを吸いたいという欲求がおこらないようにする方がよいのに決まっています。いくつかの方法をあげてみましょう。
 アルコールはタバコと大変密接な関係にあります。常習性飲酒者の喫煙率は70%を超え、非常習性飲酒者の30%をはるかに引き離しています。
 折角、断煙中の方が宴会などで、つい抑制を失って挫折したという話はよく聞くことです。禁煙の宴会というのは、少なくとも日本にはありませんので、周囲には喫煙者がたくさんいて、モクモクと煙を吐き出しているのですから、決心もゆらぐというものです。
 君子は危うきに近よらず、宴会はできるだけ避けましょう。喫煙者の友人とは遠ざかり、非喫煙者の友人と付き合うようにしましょう。飲酒の席に連なるときも、酒量を控え、理性による抑制が失われない状態に自分を置きましょう。
 断煙の友人をもつことも力強い支えになります。情報を交換したり、はげましあったりできるからです。断煙者の方々がお互いにEメールを出しあったりするグループを結成するという試みもされているようですが、このような連帯も有効だと思います。
   
7・断煙補助薬
   タバコを止めにくいのはニコチン依存症のためであり、断煙によっておこる、不安、イライラ、集中力欠如、などの症状はニコチンの禁断症状にほかならないことは、よく知られた事実です。
 そこで、タバコ以外のルートからニコチンを補い、これを順次減量して完全断煙に到らしめる方法が行われるようになりました。ご存知のようにチューインガムとシールが市販されております。いずれもニコチンの禁断症状を和らげ、断煙の苦痛を著しく軽減しました。
 私もこの両者とも使いましたが、初めに開発されたガムは、口内でクチャクチャしますので、勤務者の方々にはちょっと不向きです。それに口を動かすという動作は、タバコを吸う動作と重なりあうところがあって、少量になってから中々切り難いという欠点が出てきました。
 シールは1日1回貼布するだけで、他人にはわかりません。毎朝起床時に1枚貼布すればよろしい。当初は通常30 mgから始め、20 mg、10 mgと減量し、大抵2ヵ月で離脱します。ほとんど唯一の欠点としては、皮膚のカブレがありますが、貼布場所を毎回変えること、カブレた所には少量のステロイド軟膏を塗布することで、治療を継続できます。
 最近、欧米で飲む断煙薬ブプロピオンSRが用いられています。1日1〜2錠飲むだけで、吸煙願望を抑え、禁断症状を緩和するとのことです。数年後には日本で発売される見通しですが、アメリカでは6週後の断煙率は40%ということで、私の診ているシール使用患者の断煙率を大分下回っているように思います。実際はどうでしょうか。
   
8・肥満対策
   タバコをやめると、例外なく口内爽快感が始まり、食欲が亢進します。食物の味がよくわかるようになります。
 その結果、訪れる肥満を大変心配する方があります。タバコをやめ、食物の摂取がふえることで、瑞々しい肌を取り戻されることでしょうが、何kgもふえるのは、やはり避けねばなりません。適正体重にするには、食欲との闘いが必要ですが、タバコに較べると、ずっと容易な闘いです。恐れることなく、断煙を進めましょう。
   
  毎週火曜日の午後、喫煙者外来を開いています。断煙相談にも応じていますので、ご利用ください。
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