広報誌「かけはし」

 
■2018年7月 No.562
脳神経とホルモンの働きを介した運動と食欲の知られざる関係

― 運動の役割はカロリー消費だけではない! ―

 7月6日、大阪商工会議所で健康セミナーを開催。大阪市立大学大学院 医学研究科 運動生体医学 教授 吉川 貴仁氏が「脳神経とホルモンの働きを介した運動と食欲の知られざる関係―運動の役割はカロリー消費だけではない!―」をテーマに講演されました。当日の天候および鉄道の運行状況などにより、参加人数は26組合・30人。(以下に講演要旨)

 
 
吉川 貴仁 氏
 わが国では、医療費、保険給付額が増加の一途を辿り、社会・経済を圧迫するなかで、特に生活習慣病を含む疾病の予防に多くの努力が注がれている。その方策のなかで、食生活と運動の習慣は二つの独立した柱と認識されているが、この両者は何らかの相互作用により生体内で調整し合っている可能性がある。一般に、『運動するとお腹が空く』と信じられているが、運動で消費したエネルギーを食欲の代償的な増加で穴埋めするというような簡単な図式ではないことが分かっている。
 空腹や満腹感は、自律神経系および種々の血中ホルモンを介して、末梢組織と脳視床下部(摂食・満腹中枢)を結ぶネットワークにより制御されている。このうち、ペプチドYY(PYY)、グルカゴン様ペプチド―1(GLP―1)といった消化管ホルモン群は、主に回腸や大腸に存在するL細胞により食後に血中に分泌され、摂食を抑制する。最近の研究で、単回運動に伴い消化管ホルモンの血中濃度が変化し、摂食抑制に傾くことが知られている。我々は、肥満の有無に関係なく、PYYやGLP―1の血中濃度が運動に伴って増加し、その増加が大きい人ほど運動後の食物摂取量が減ることを報告した。さらに、継続的な運動介入(例えば、中年女性に1日60分×週3日×12週間の有酸素運動)を行うことにより、血中GLP―1の増加反応が強くなることも報告した。
 一方、ヒトの食行動は、空腹や満腹感といった栄養の枯渇と充足のみならず、味覚や嗅覚など食に関する感覚入力や、精神的ストレスなどの複合的な要因により制御されており、感覚、情動や認知を司る高次の大脳皮質の神経活動が関わる。視覚的な食品刺激に対する脳神経応答を機能的磁気共鳴画像法により調べた研究では、肥満者への運動介入(1日500kcalの消費を目標に6カ月間実施)により、視覚的な食品刺激に対する大脳の島皮質の応答が介入後に減弱し、その減弱程度が体重減少と関連していた。また、別の研究でも、日常の身体活動量の多い人では、島皮質、眼窩前頭皮質、扁桃体といった脳部位で、視覚的な食品刺激に対する神経応答が低かった。これらの脳部位は、外部からの感覚情報の統合、(快感を与える)報酬価値の評定、情動の処理を司るとされており、運動は食刺激に伴うこれらの神経活動に何らかの影響を与える可能性がある。
 以上は食と運動の生体内での相互作用であるが、原始時代から現代に至る生活スタイルの変遷という観点からも両者の関係は興味深い。まず、狩猟・採取が生活の糧であった原始時代には、獲物を求めて動いてから初めて食物にありつけるという状況にあったが、時代とともに動かずとも(美味しく)食べることができる豊かな食環境に変貌してきた。つまり、現代社会では摂食が運動から切り離されている。その結果、ヒトは食刺激に伴う抗いがたい食欲に翻弄される一方、運動不足も相まって生活習慣病の素地が生まれている可能性がある。前記のような食欲に対する運動の役割を知り、うまく活用することがよりよい生活習慣の達成に役立つものと思われる。