広報誌「かけはし」

 
■2004年2月 No.389


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 かつては大阪と和歌山を結ぶ主要な街道であり、江戸時代には紀州と泉州の交易ルートとして利用された紀州街道は、熊野三山へ通じる熊野街道(小栗街道)とも呼ばれていた。
 阪南市山中渓(JR阪和線山中渓駅近く)には、紀州藩主の江戸への参勤交代の折、当所で休んだとされる山中宿本陣跡や旧旅籠など、往時の面影が所々で見受けられる。平成6年には「歴史の道」の指定をうけ、記念碑は山中渓住民センターの前に設置されている。
 

<紀州街道の碑>

 JR阪和線山中渓駅を降りると、すぐ北側に「紀州街道」の碑があり、石だたみの街道を行くと平石を屋根にした「道祖神」がまつられている。道中の安全を祈り、村の入口にあたるので疫病や悪霊の進入を防ぐ塞(さい)の神としてあがめられていたようだ。
 宿場町・山中渓には江戸時代、参勤交代の折、宿泊などに利用された「本陣跡」が、この村を拓いた御沢四郎の子孫にあたるとされる三沢家の内側にその立看板が見られる。また街道の中ほどに建つ山中渓住民センターの前には、歴史の道「紀州街道・山中宿」の記念碑も。さらに北上すると、築150年以上といわれる「旧庄屋跡」や、しだれ桜がきれいな地福寺、寺子屋の弟子たちが師匠のために建てた「筆子塚」などがあり、短い道程に様々な遺跡や古い建物が残されている。
 近くには、和泉山脈の地形をそのまま生かした自然あふれる公園内に造られた施設「わんぱく公園」があり、川沿いの西側に咲く桜並木は春になると美しいピンク色に染まり、多くの人出で賑わうという。
 

<記念碑>

<旧庄屋宅付近>

 

 

旧街道シリーズは本号でひとまず終了し、3月号からは伝統祭事シリーズ10回の掲載を予定しています。